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妊娠&出産で、全然パソコンに向かえず、
久々のブログ更新です。
今でもベビーの授乳やら何やらで落ち着かないのですが、
先ほど見た「憲法ってなあに?」というDVDがあまりに目からウロコで
かつ「今の日本、ホントにやばい!」と危機感を覚えたので、
子どもたちのお昼寝の隙に書いています。

DVDは、憲法の伝道師 伊藤真弁護士が、自民党改憲草案を中心に憲法改正について語ったもの。
「憲法」と「法律」の違い、「個人の尊重」、「立憲主義」、「民主主義」、「交戦権」…
どこかで一度は習ったような、でも実際は分かったようでよく分からない言葉たち。
それがDVDの中ではす〜っごくわかりやすく解説されています。
「難しい言葉が自分のモノになった♪」って感があります(笑)

見て一番良かったのは、
「国を守るためには、武力も必要。そのために今の憲法をかえねば!
」という人に対して、返す言葉を持てたこと。
その他、
・一人ひとりの個人が大切にされる今の憲法から、国家のための私たち、という憲法に改憲されようとしていること
・国防軍により、人殺しができない国から、私たちは人殺しができる『当たり前』の国になる
・少数派や、改憲後の自分たちの生活を「イマジネーション」することの大切さ 
他にも内容盛りだくさん。

一枚500円+送料(80円)でお勉強できるので、
興味ある人に、いえ、興味ない人にも、見てほしいです。
申し込み・問合せは、Workers For Peace♡ワーカーズフォーピース
FAX 03−5382-3220 HP http://workers4peace.org/
Email w4pinfo@workers4peace.org

横でスヤスヤ眠っている2歳娘と、指をチューチューしている2ヶ月娘が、戦争に巻き込まれないためにも、私たちが今、しっかりしなきゃ〜って思いました!


10月28日あいあいセンターで行なわれた橘柳子さんの報告会に行ってきました。

橘柳子氏:旧満州大連生まれ。1945年ハルピンで終戦を迎え帰国。
大学卒業後、福島県で教師(英語)。
県教職員組合中央執行委員として活動後、現場復帰し2000年に定年退職。
震災時は浪江町在住。転々と避難し現在10か所目の福島県本宮市(もとみやし)の仮設住宅住まい


橘さんのお話しの中で特に心に残った言葉と、自分の感想を書きます。

『私は、国から二度棄てられた』
 一度目は戦争。二度目は原発事故。餓えと寒さの中、ずっと消し去っていた終戦時の記憶がフラッシュバックして蘇ったそうです。
「いったん原発事故が起きれば、障害者や老人など弱い立場の人間は、虫けらのように死んでいくしかないんです。今の避難所では、すでに3人の方が亡くなっています」とおっしゃっていました。

 私は、橘さんのこの言葉の意味が分かります。原発事故があって、私は、国は「国民」を守ってくれるものではないことを知りました。政府は国民の健康や命を守る政策を第一に考えるのではなく「国」という体制を維持することを第一に動いている、と痛感しました。
 橘さんが避難所にいる子どもたちにヨウ素剤を飲ませるよう訴えても「ヨウ素剤は副作用の心配があるから」と、配られなかったそうです。
 放射能測定をしていても、「風評被害が広がるから」と測定結果を低く伝えたり、公表しないようにする動きもあるそうです。
 弱い立場にいる人びとにとって国や政府は頼れるものではなく、自分たちの命を守るためには闘っていかなければならない現状は情けないですが、それが今の日本の「国」と「国民」の姿なんだと思います。

『これが大企業のすることだろうか』
 橘さんの住んでいた浪江町は、原発建設に反対し原発を建てさせなかった町。つまり、東電に「逆らった」町なのです。福島第一原発事故で放射能にひどく汚染されたにも関わらず、浪江町には東電からの連絡は一切なかったそうです。また、福島県で一番大きな町にも関わらず、東電からの支援物資は他の町より3分の2少なかった、とおっしゃっていました。
 
 事故の収束は見えず、効果的な除せんは進まず、被災者への謝罪・賠償も十分でない一方で、東電は福島にある原発10基のうち4基を今後再稼働させようと考えているそうです。私自身「これが責任ある企業の考えることだろうか、こんなことが許されていいんだろうか」と素朴に感じます。

『被災者の傷はあまりにも深すぎてこの体験を忘れたいという思いがある』
 「あまりにもひどい体験をした福島の人びとは、自分が体験したことを忘れようとしている。子どもたちも。私は、原発事故の風化を恐れています」とおしゃっていました。

 被災体験のない私にはしっかりとは理解できていないと思いますが、戦争体験を思い出さないようにしてきた橘さんがご自身の中で葛藤しながらも「忘れたいけど忘れてはいけない」と語る姿は印象的でした。

 福島県の中でなかなか国や東電に声を上げる人が少ない理由のもう一つには、賠償の問題もあるようです。
 強制避難の住民は、申請すれば1人10万円/月の賠償がされる。5人家族なら3ヶ月まとめて150万。それが多いか少ないかは別にして「お金は魔物」(←これは橘さんの言葉)。当面の生活を維持するために賠償を受け取ることで、住民が黙ってしまうこともあるのだと思います。
 自主避難の住民は、同じように避難していても健康被害が出ても一切補償がされていません。結局は福島に戻りそこで住まざるを得ない以上、放射能の怖さなどを語らったり声をあげていては生活していけません。


 橘さんのお話を聴いていて一番感じたのは、被災している人たちの気持ちはそう簡単には理解できないということ。でも、被災者でないゆえに、原発事故を忘れないでいること、声を上げていくことができるんだ、と思いました。
 それは、福島の人びとのため、ということではなく、全国にある原発がいつどこで事故を起こすか分からないこの日本に住んでいる自分たちのため。


  
 
 
 
 

一昨日、和歌山市民会館(市民ホール)で開催された
「秘密保全法制の危険性と問題点を考える市民集会」に行ってきました。
寸劇あり、知人のkinokkopさんがパネラーとして出られたこともあり、
最初から最後まで、楽しく(?)聴くことができました。(^^)

そもそも「秘密保全法」とは
・「国の存立にとって重要な情報」を行政機関が「特別秘密」に指定する秘密を扱う人、
その周辺の人々を政府が調査・管理する「適性評価制度」を導入する
・「特別秘密」を漏らした人、それを知ろうとした人を厳しく処罰する


正直、私にはちょっと難しいです(-_-;)
でも、この法案が通れば、
「国の安全・秩序維持」ということで
政府にとって都合の悪い情報はますます隠され、
私たちが知りたいと思っても知ることもできない状態になる、
となんとなく思うのです。

今回、会に参加して、知ったこと、心に残ったことをつらつら書きます。

・「特別秘密」とは何か?
政権や状況が変われば国にとって重要な情報も変わる。
その時々で定められる「特別秘密」を、私たちは知ることができない。
何が「特別秘密」かを知らずに、情報を漏らしたとして懲役10年以下もの罪に問われることがあっていいのだろうか。

・情報は誰のもの?
情報は、そもそも私たち国民のものであるということ。
そして、私たちの知る権利・話す自由は、民主主義であるためにとても大切なもの。いったん規制されれば、それを取り戻すのは簡単ではないから、規制する場合は慎重でなければならないということ。

・「適正評価制度」の問題
秘密を扱う本人だけでなく、配偶者など周りの人まで、思想やプライバシーに関わるところまで調査される。
個人のプライバシーを侵害する、という問題と、
国にとって都合のいい特定の人だけが業務にあたることになり
思想の統制になるのでは、という懸念がわいてきました。


・今なぜ「秘密保全法」か?
第一にアメリカの要求、具体的には米軍と行動を一体化する動きがあるそうです。
また、経済界(軍需産業)、警察、原発推進者などの、
「知られたくない情報を隠したい」という流れもあるようです。


「秘密保全法」について、私は、平和を守る意味から、とても危機感をいだいています。
この法の背景には、核や、軍や、武器が密接に関係しているから。
でも、いま、こういったことが、メディアに取り上げられず
多くの人が知らずにいる状況が、とても不自然で
いちばん怖いことだと思います。

でんでん虫つうしんNo6が、ようやく完成しました。
子どもの起きているうちは、パソコンには向かわないようにしよう、
とか、体調がすぐれないから今日はやめとこう、など、
色々自分にいいわけをしているうちに、4ヶ月が過ぎてしまいました・・・(-_-;)
子どもが2歳の誕生日を迎えるのに合わせて、なんとか発行できました。

今回は、食べ物、特に給食の放射性物質検査についてです。
先日、食品の放射能汚染について、意見交換会に行きました。
国や県の担当者たちが「国の基準は世界でも厳しい基準なので
安全です」とひたすら説明する姿に、ちっとも安心できずに帰ってました。
子どもたちの健康を守るには、受け身でなく、
やっぱり何か動かないとだめだ〜
という思いを強くしている次第です。

でんでん虫つうしんNo6表.jpgでんでん虫つうしんNo6裏.jpg


それから、紙面の都合上載せられなかったのですが、
お知らせしたいイベントを一つ、以下にご紹介します。

講演会「-福島からの証言-福島原発事故の今を生きる」

○ 講師・橘 柳子さん
○ 日時・10月28日(日)13:00~16:00
○ 場所・あいあいセンター 4階6・7会議室
       和歌山市小人町 TEL:073-431-5246
○ 参加協力費・500円
○ 主催・原発がこわい女たちの会(連絡先 073-451-5960 松浦)

◎ 橘 柳子(たちばな りゅうこ)さん;
  1939年旧満州大連生まれ。
  長らく福島県で教師(英語)として勤務。
  県教職組合専従活動を経て2000年定年退職。
  震災時は浪江町在住でしたが、転々と避難して現在10か所目の
  福島県本宮市の仮設住宅住まいをされています。

-福島からの証言-福島原発事故の今を生きる
  2011年3月の東日本大震災に端を発した東京電力福島第一原発事故から「一年半」が過ぎました。福島県では、いまだ16万人の方が、放射能汚染を避けて県外や県内各地に避難され、また多くの方は不安を抱えながら避難しないで地元に留まっておられます。いずれにしても、それぞれに抱える苦難は並み大抵なものではないでしょう。
  それらの情報について私たちは、TVや新聞、ネット上からも大量に見聞することはできます。もっといいのは、現地にでかけて目の当たりに体験してみること、とは思いつつなかなか果せないでいます。そこで、いま現に福島に暮らす被災者の方をお招きし、当事者からみた福島からの生の声を直かにお聞きする機会をもちたいと考えました。いま、福島ではどのような状況なのか、健康被害は、家族は、仕事は、住まいは、食べ物は、学校は、インフラは、・・・当事者から震災と避難生活について証言していただき、原発事故の現実についての認識を深めたいと思います。そして、被災された方々の思いを受けとめ、いま私たちにできること、心しておきたいことは何かを学び、これからどうなるのかどうしたらいいのか、私たちに突きつけられていることを考え、そこに向けて一歩でも進んでいけたらいいなと、思います。

先日、日高町の「波満之家」という民宿で、長い間、和歌山で原発立地に反対する運動をして来られた方々の合宿に参加しました。京大の原子炉実験所の先生方も合同で、豪華なメンバーが勢揃い。福島の飯舘村の現状や原子炉内部の話、さまざまな人との交流、透き通った海、美味しい食事・・・とっても刺激的な2日間でした。
 特に印象に残ったのは、民宿のご主人、濱さんです。事実上、日高に原発が来るのを阻止した方です。福島第一原発の事故後は、昔原発を推進してきた人から、「こうなることを知っていたんですか?」「こんなに怖い物だとは・・・」と、声をかけられるようになったそうです。でも当時は、家族にさえ自分の活動をなかなか理解されなかったとおっしゃっていました。
 町職に就いていた人も、原発反対したとたん、上司複数から圧力をかけられたそうです。立場は違えど参加者の多くが、上司や近所の人から嫌な顔をされ、さまざまな圧力を受けてきたと、言います。信念を貫くのに、どんなにか強い心が必要だったか。チェルノブイリ、スリーマイルの原発事故が起きた後でさえ、当時原発反対を意思表明する、ということは、まさに自分の首をかけて戦うことだったのだろうと思います。
 そういう人たちがいて、私たちは、今,差し迫った原発の心配をせずに和歌山で過ごす事ができているわけで(もちろん他の原発に関する危惧はありますが)、人生をかけて土地を守ってくれた人たち(合宿では、お酒を飲んでほろ酔いで熱く語っている人生の先輩たち)を前に、感謝の気持ちでいっぱいになりました。
 
 話は変わって、関西広域連合が、震災がれきの受け入れ正式に中止しました。国が、今月7日,処分に見通しがついたとして手続きの中止を連合側に伝え、これにより和歌山市におけるがれきの受け入れもほぼなくなりました。詳細は、「放射能から命を守りたい集いin和歌山」のブログにkinokkopさんがまとめてくれています。
和歌山市【広域処理の必要は無くなった】
 kinokkopさんは、ガレキの広域処理の問題点に早い時期から気づいて、1年以上も前から、近畿地方を中心にガレキ広域処理を阻止する為に尽力してきた若いお母さんです。何度も市と話をしたり、要望書を書いたり、署名を集めたり、地道に且つ精力的に活動してくれていました。こうやって中心的に動いてくれる人がいて、それに賛同して一緒に動く人がいて、ひとつひとつアクションを起こしたからこそ、今回の結果に繋がったのだと思います。
 
 どこであれガレキを燃やして放射能を拡散してはいけないし、福島や関東地方に住む人々の健康被害を見ないようにしている政府の姿勢は許されるものではありません。色々勉強するうちに、原発の政策に限らず、国のやっていることをほっておいては、危険な事が山ほどあることが分かってきました。
「政府のする事に対して、私たちがいくら何かやっても結局効果ないんじゃないかなあ」なんて悶々としていたときもありますが、合宿でいろんな人に出会ったり、この度の広域処理の件で、小さな動きでも、あきらめないことで大きな変化をもたらすんだと、勇気をもらいました。
 私は大きな事はできないけれど、自分の家族を守る活動を積み重ねることで、結果的にもっとたくさんの人の健康を守れたり、命を守れたら、しあわせだろうな、と思います。
 

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